40代からのまじめなスピリチュアル

59歳派遣主婦。自らの経験をもとに、自分の魂を知って自分だけの神に出会う方法について語ります。

聖書を開いたら魂が飛び出した!? 魂の慟哭が教えてくれたこと

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教会には行ったことがない

私は「教会」という所には、一度も行ったことはありません。

「牧師」や「神父」と呼ばれる人には一度も会ったこともありません。

 

だけど、気がついたらクリスチャンとなっていたのです。

不思議ですよね。

 

クリスチャンとは、イエス・キリストを信じて受け入れる者のことです。

 

私はそれまでの人生において、神仏に関心を持つことは一度もありませんでした。

それどころか、そのような宗教じみた思想を軽蔑していました。

 

単なる好奇心で、私が「命のクリニック 」で魂の目を開いてもらったのは40歳の時。

その時はどうってことはなかったけど、日を追うごとに引き寄せられていくものがありました。

 

それは「聖書」です。

 

聖書との出会い

聖書は、もちろん読んだこともないし、手に取ったことすらありませんでした。

 

だけど気になって仕方がない。

ある日、図書館で児童向けの英語版聖書を借りてきました。

聖書の不自然な日本語に抵抗があったので英語版にしました 。

それと児童向けなら内容がシンプルでよかろうと思ったからです。

 

私は自宅でぼんやりと、絵本に近いその聖書を眺めていました。

文字を読むのもおっくうなので、粗末な衣服をまとい、弟子と共に歩いているイエス・キリストの絵を見ていました。

 

魂が飛び出した!?

その時、驚くようなことが私自身に起こったのです。

みぞおちのあたりから、突然「ボガッ!」とした激しい衝動が湧き上がり、それが喉を通して登ってきて、口から抜けると同時に「ワーーーッ!!」と大声で泣き叫んだのです。

 

涙がボロボロとこぼれ、床をのたうちまわり、泣いても泣いても衝撃的なエネルギーは終わりませんでした。

 

全ての感情を丸めた爆弾が、次から次へと大爆発を起こしているような感覚です。

 

私は自分の身に何が起きているのか、なぜ号泣しているのかわかりませんでした。

そもそも聖書を眺めていただけですから。

 

この不思議な症状は20分ほどで終わりました。

 

「今のは何だったんだ?」

「確かに私だけど、私じゃない・・」

「もしかしてこれが魂なのでは」

「そうだ!これが魂という存在なのだ!」

 

私は、その日初めて自分の霊魂というものに遭遇したのです。

 

魂とキリストの関係

その後「命のクリニック」でいろんな霊的体験を重ねるうち、私は次の確信に至りました。

 

  • 全ての人間の魂はイエス・キリストを知っている。だが、長い間神と離れ、罪(業)を重ねているうち、キリストを忘れてしまった。

 

  • キリストとは神の分身みたいな存在。役割は違うけど、キリストと神は一緒。キリストは愛のエネルギーそのものなので、人間がその波動に触れると、喜びと優しさに包まれてうれし泣きをする。同時に魂は癒されて元気を取り戻す。

 

  • 肉体(脳)という顕在意識が魂を妨害するから、人間はキリストのことがわからないし、信じない。人間は常に顕在意識が優位となっているから、ほとんどの人間の魂は眠ったまま。魂は潜在意識よりもっと深い、超自然的次元に存在する。魂が眠っているということは、人間側は死んでいることとほぼ同じ。

 

  • 人間の魂だけではなく、あの世の悪霊たちもみんなキリストを知っている。知っていながら、人間を悪に導かねばならぬ理由がある。

 

このような経緯で、私はいつの間にかクリスチャンとなっていました。

 

キリスト教という教えを学んだわけでもなく、誰かに信者になるよう誘われたわけでもなく、 人生のどん底で何かにしがみつきたかったわけでもありません。

 

「命のクリニック」で開眼した私の魂が、私にキリストの存在を教えてくれたのです。

そして魂のベクトルは、キリスト(神)に向いていることがわかりました。

これは信じないわけにはいきません。

 

私たち一人一人は、自分の魂がキリスト(神)に直接アクセスできるように設定されています。

 

神にアクセスするということは、神のインスピレーションで生きるということです。これは人間にとっては最高の幸福となります。

 

どんなに辛い人生でも、神が共にいて導いてくれるのですから、魂は意気揚々として乗り越えていくのです。

 

神とアクセスするためには霊的エネルギーが必要です。

このエネルギーを提供してくれるのが「命のクリニック」です。

 

しかし神とアクセスしても、人間側に信じる力がなければすぐに交信は途絶えてしまします。この信じる力を「信仰心」と呼びます。

 これは人間側の努力次第です。

 

これからも人間と神との関係について書かせていただこうと思いますので、読んでくださるとうれしいです。