40代からのまじめなスピリチュアル

59歳派遣主婦。自らの経験をもとに、自分の魂を知って自分だけの神に出会う方法について語ります。

「荒海や佐渡に横たふ天の河」自我を抜けた魂の世界

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「荒海や佐渡に横たふ天の河」
有名な芭蕉の句です。

 

海が荒れているのに、夜空に天の川が見えるなんて。。

芭蕉の滞在時の記録を分析すると、芭蕉はこのような風景は見ていなかったはず。。。

などとツッコミどころの多い句でもありますが、そんなことはどうでもいいのかもしれません。俳句のとらえ方は、人それぞれですから。

 

どんな人の心にも共通する「何か」に引っかかれば、名句となるんでしょうね。

 

「荒海」「佐渡」「天の河」この3語だけで壮大な景色が目に浮かんでしまうので、私にとっては、「この句、すごいなあ〜。やっぱり芭蕉は天才だわ!」と思ってしまいます。

それだけじゃなく、その景色に自分の心が吸い込まれ、やがて芭蕉の魂といっしょに、私の魂が大宇宙の中へ溶けて行ってしまうようにさえ感じるのです。

 

静と動

「静かな海」ではなく、ここはやっぱり「荒海」でなきゃいけませんね。

泰然自若として微動だにしない天の川に対して、荒々しくたける日本海

もっと俯瞰して眺めたら、そこに見えてくるものは、

全宇宙を支配する神の世界

人生の波、シャバの嵐に翻弄されては浮き沈みする私の心

「ああ、こんな心にいちいち束縛されたくないわ!」

と思うのです。

 

大と小

広大な海にポツンと見える佐渡島

見上げれば壮大な宇宙が全てをおおう。

私はこんなにも小さい。

手や足を必死で動かしても、あの佐渡島まで渡ることはできない。

大宇宙から見れば、今ここにある私の肉体は、針の先でつついたよりも小さい。

弱くてはかない私を嘲笑うかのように、天の川は私を見おろす。

「一体何の意味があって私はここにいるのだろう。」と思うことはありませんか?

 

有限と無限

 一体いつから宇宙は存在しているのだろう。

138億年前のビッグバンによって宇宙は生まれたという説があるが、ではそれ以前は何があったのだろう。

ただの暗い空間が存在していたのか?それはいつから?

時間のスタートはいつ?

時間の終わりはいつ?

考えても考えても答えが出ないので、考えること自体が無意味なことに思えます。

 

荒波が何度も岩を削れば、やがて岩は消滅します。

人間の肉体は必ず死を迎えて朽ち果てます。

宇宙の星々ですら、新しく誕生したり消滅したりするというではありませんか。

だけど、時間と空間には限りがあるだろうか?

物質という限られた世界に対して、永遠という無限の世界は必ず存在します。

 

自我と大我

今ここで天と地を見つめる自分。

そして、自分も天も地も、時間も空間も全てが渾然一体となった自分。

芭蕉は、「自分(自我)」と「もう一人の自分(魂)」をいつも感じていたのではないでしょうか?

 

今ここで、このブログを書いている私。

少ない語彙力を必死でかき集め、何とか心に思うことを言葉で表現したいと思いつつ

悪戦苦闘しています。

 

余談ですが、最近記憶力がガタ落ちして、言葉がパッと浮かばないのです。認知症かもしれないし、ただの老化現象かもしれません。

脳内に浮かぶ情報が、以前は一斉にピカーッと表示されたのが、最近は真っ暗な電光掲示板に、ポツン、ポツンと薄暗く、灯ったり消えたりするような感じなのです。

こりゃまずいかなと思いますが、もう60歳だから仕方ないのかな。

 

こんなふうにあーだこーだと考えて行動している自分。人間が考えることは、実はほとんどネガティブな波動がおおっています。

自分のなけなしの知識や経験で、いろんなことに縛られながら勝手に解釈して思い込んでいるからです。

 

こんな心の世界が「自我」です。

 

一方、人間の本体である魂は無限の世界の住人ですから、制限などありません。

魂はインスピレーションによって自由に羽ばたきたいと願っているのですが、

人間側の頑固な思考が、魂をがんじがらめに縛っているのです。

 

インスピレーションとは神の啓示です。

魂にとって、神の指示通りに羽ばたくことが真の幸福となるのです。

同時にこれは人間の幸福にもつながります。

 

この事例で誰もが知っているのは、「聖書」です。

聖書は、神の啓示を受けた人間(魂)の自動書記によって書かれています。

神の指示をキャッチした魂が、人間の心と肉体を動かして文を書いたのです。

 

注意:悪霊も神に化けて人間に自動書記をさせます。

 

魂が肉体の中にあって、インスピレーションをキャッチするのはけっこう難しいことです。

しかし、本来人間は神の指示通りに生きられるように設計されているのです。

なぜそれができなくなったのか?

その理由はまた別の機会に書かせていただきますね。

 

魂が人間の心の束縛を離れ、神の波動と融合同化した世界が「神我」です。

仏教用語では「大我」と言いますね。

 

気をつけて

幽体離脱しただけじゃダメです。

魂がちゃんと神を見い出していなきゃ、暗い宇宙に放り出されて永遠にさまようことになりますよ。

それどころか、悪霊がやってきて肉体を乗っ取られるかもしれません。

面白半分に霊的事象に首を突っ込むのはやめましょう。

 

お祓いって、除霊でしょ?それってまた戻ってくるよ

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「お祓い」って、私はよく知りませんが、神主さんが何かをバッサバッサ振り回して、なんたらかんたらと唱える、あの儀式ですよね?

それとか、お坊さんが「トリャーッツ!!」と叫んで九字を切ったりするやつかな?

 

その人に取り憑いた悪いモノを祓い(払い)のけているつもり?

つまり未浄化霊を払い除ける、除霊ってことですよね。

 

だけど、そんなことでは簡単に払えないと思いますよ。

払う側にそれ相応の力がないと無理です。

力とは、霊能力ではなく「高い霊格」です。魂の波動の高さです。

 

ヘタなことをすれば未浄化霊は怒って、さらに多くの仲間を連れて来て、その人の魂を乗っ取りかねません。

霊は一時的にその人から離れても、その人の波動が変わらない限りまた戻ってきます。

 

つまり、未浄化霊はその人の中にある同じ波動に引き寄せられているのです。

いつもクヨクヨしているしている人は、やっぱりウジウジした未浄化霊を引き寄せます。

人をねたんでばかりいる人は、同じようにねたみに燃えた波動を持つ未浄化霊を引き寄せます。

 

金欲にまみれ、高価な物を持ちたがりような見栄っ張りな人には、キツネに化けた霊が取り憑いていますよ。

 

部屋が汚れていても気にならず、怠惰でだらしない生活を送る人には、臭くて汚いタヌキに化けた霊が憑いています。

 

そもそも未浄化霊とは、ネガティブなエネルギーのかたまりなので、人の心の中の暗い波動と共鳴し合うのです。

逆に、明るい、前向き、愛にあふれている、純粋、正直、誠実、素直、

このような心の波動には近寄れません。

 

早い話が、お祓いなんかするより、その人の魂の波動を上げることが肝心なんです。

魂の波動が上がれば、低い波動を持つ霊はその人に近寄れなくなります。

 

未浄化霊だって怒ったり喜んだりします。忌み嫌うような扱いをされると、そりゃ怒りますよ。引き寄せているのはご本人なのですから。

 

自分で「いらっしゃい」と呼んでおいて、「お前は汚い!あっちへ行け」と言ってるようなものです。

 

「命のクリニック」が行っているのは、除霊ではなく、浄霊です。

お祓いではありません、霊の浄化です。

浄化とは、霊エネルギーの波動を光の次元まで上げることです。

悪霊を善霊に変える、と言えばわかりやすいでしょうか。

 

人間側が苦しいように、未浄化霊だって苦しくて仕方がないんです。

だから未浄化霊が浄化されると、うれし泣きをして私たちに感謝してくれます。

私はその波動を何度も体験しました。「感謝」はとても高い波動を持っています。

浄化されれば二度と人間に取り憑いたりしません。

 

未浄化霊は、なにも好きで暗い次元にいるのではありません。

「救い」を知らないから苦しんでいるのです。

 

「救い」とは「神の愛」のことなんです。

神の愛に触れると、どんなに凶暴な悪霊も愛に溶けて、光に変わってしまうのです。

 

不思議ですよね。

でもこれが霊的な真理なんです。

 

 

なぜ人間は「死」が怖いの? ヒントはイエス・キリストにある

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「死ぬ」って、怖いですか?

正直、私は怖いです。

地震がくれば、オタオタしてあわてふためくし、飛行機に乗れば「落ちるんじゃないか」と思ってドキドキするし。

 

だからと言って、死んであの世に行くことが怖いわけではありません。

この世に未練があるわけじゃないし、後に残して心配するような家族もいません。

還暦を目の前にして、この先キラキラした夢や希望が待っているなどとは思えませんし。

 

いつあの世に行ってもいいと思っています。

 

と言いつつも、昨年ガンの疑いのある大腸ポリープが見つかった時は、「どうしよう。。」と不安に包まれたりもしました。

 

怖いのか、怖くないのか、一体どっちなのでしょうね。

 

ただ言えることは、人間は本能的に目の前の死を恐れますよね。

「人間、いつか死ぬんだから」と悠然と構えていても、いざ目の前に爆弾が落ちてきたら、パニックとなって逃げるでしょうね。

その場にいる人を押しのけて逃げるかもしれません。

道徳心もへったくれも全て吹っ飛んで、自分だけは助かろうとするかもしれません。

 

なんで「死」が怖いんだろう。

痛い思いをしたくないから?

突然見知らぬ世界に行くから?

親しい人と別れたくないから?

自分がなくなるのが恐怖だから?

 

「命のクリニック」のセラピストに、こんなことを聞きました。

「人間が死を恐れるのは、魂が死を恐れているから」だと。

 

ではなぜ、死後の世界(霊界)の住人である魂が死を恐れるのか?

 

それは、魂にとって、肉体の中にいる間はとても貴重な時間だから。

魂は何度も生まれ変わり、その人生において「罪を悔い改め、神の元へ回帰する」チャンスを探している。

 

もしそれができないまま肉体を抜けたらどうなるか?

 

あの世へ行って、また同じ薄暗い世界をさまようだけ。そこには絶望が待っている。

あの世では救いの手は届かないからだ。そして、今度いつ人間になれるかわからないのだ。

 

魂の目的とは、光の世界に帰郷し、産みの親である最愛の神のふところに飛び込むことである。

 

その目的を達成できる鍵は、イエス・キリストの福音にしかないそうである。

 

しかもこの福音を受け入れるには有効期限がある。

つまり、生きている間だけだそうだ。

死んでからではもう遅い。

 

だから、神であるイエス・キリストの愛に包まれていない魂は「死」を恐れる。

 

超能力信仰、霊能者崇拝の危険なワナ

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自慢気に自分の能力や知識をひけらかし、相手を見下す人って嫌われますよね。

その人はまるで自分が神にでもなったかのような気持ちでしょうね。

人間ならば誰の心にも「己れを誇りたい!」という、欲の芽が潜んでいます。

  

もし皆様が、以下のように普通の人が持ち得ないような霊的能力(超能力)を持っていたとしたら、どうしますか?

  • 相手の気持ちがわかり、相手の将来もわかる。
  • 亡くなった人を呼び出して交信できる。
  • 物を動かしたり、自分の体を浮かせたりできる。
  • 未来に起こることを予知できる。
  • 取り憑いた霊を祓(はら)うことができる。

 

これだけは知っておいてください

人間の魂の部分は霊的存在ですから、本来、誰もが霊界と交信できるのは当然のことなのです。人間にとって霊能力は、特別な力でも何でもありません。

その力がはっきりしているか、ぼんやりしているかの違いです。

人間界と同じように、霊界にはロクでもないチンピラ霊がウヨウヨしており、すきあらば人間を陥れようと企んでいます。

霊能力がはっきりしている人は、チンピラ霊の格好のエジキになる可能性が高いのです。

 

人の役に立ちたい

そこそこの人格の備わった人であれば、純粋な動機から霊能力を使って人助けをしようと思うかも知れません。

私の母方が代々祈祷師の家系でしたが、このパターンです。

ごく身近な人や親族のみを相手に、子供ができない、ダンナの浮気、仕事がない、などの人生相談にのってあげていたようです。

神様(ニセモノ)から色々なことを聞いて、悩んでいる人に解決策を教えてあげていたのです。

しかし、このようなことは本来やってはいけないことなのです。

一見、立派な神様と交信しているように見えますが、本物の神様とは全く別物の、ニセモノの神様と交信しているんですよ。これはとても危険です。

霊界の仕組み(霊的真理)をちゃんと知っている人であれば絶対にやらないはずです。

本物の神様と交信できる人は、祈祷や占いなどはしません。

ニセモノの神様の目的とは、人間の欲を利用しながら、人間の魂を堕落界へと引きずり落とすことなのです。

 

この世で金もうけ

卑しい性格の持ち主であれば、霊能力を使って人の弱みにつけ込んだ金儲けができます。

このような霊能力者の背後には力のある黒いボス霊がついていますから、人の心をあやつって不思議な事象を見せたりすれば、面白いようにお金が舞い込んできます。

昔から新興宗教という名の元に、信者からお金を巻き上げた輩がたくさんいましたよね。幕末や戦争、恐慌など不安な時代には、怪しい新興宗教が大流行しました。

いつまでもボス霊にしがみついていると、いずれ堕落界へ魂もろとも蹴落とされてしまいます。

 

我こそは神である

「自分を神格化し、人々に自分を拝ませたい」

こんな欲に取り憑かれる人がいます。有名な某カルト教団の教祖にいましたよね。

くだらない空中浮遊で人々を驚かせ、「我こそは神である」と信じ込ませるのですから、大したもんです。

そんな幼稚な霊現象を尊いものとして信じる側にもあきれてしまいます。

そもそも空中浮遊なんて、取り憑いたチンピラ霊が肉体を持ち上げてイタズラしているだけなんです。

あの世の黒い霊にとっては、こういうタイプの人間欲が一番好きなのです。

なぜかといいますと、「我こそが神である。我を拝め!」は、黒い世界に君臨する大王(サタン)の波動だからです。

こんな極悪な霊に取り憑かれたら最後、その末路がどうなるかは、テレビのニュースなどで皆様よくご存知だと思います。

 

祖父の場合 

私の祖父は、あぐらをかいてリラックスしている時など、そのままピョンと飛び上がりましたよ。そしてドスンと落とされます。本人はとても嫌がっていました。

チンピラ霊が面白がってイタズラしているのです。

コックリさんも同じです。

こんなとことに心を奪われていると、知らぬ間にどんどん黒い世界に引きずり込まれていきます。

祖父は、自分の意志は全くないのに、自動的に霊界交信をしてしまう霊能力の持ち主でした。

亡くなった人たちが祖父の肉体を借りて、言いたい放題するんです。

祖父のようなタイプは、「イタコ」「口寄せ」「呪術」「シャーマン」などと呼ばれています。

だけど祖父はそんな自分の霊的な体質をとても嫌っていました。家族も気味悪がっていましたし。

祖父は人に知られたくなくて、ひっそりとその霊力をしまい込んでいました。

だから最悪の事態からは免れていたようです。

 

霊力は本物の神様からもらった賜物

だけど霊力って「本物の神様」からもらった賜物でもあるんです。

その霊力は、「本物の神様」のために捧げるべきなのです。

ニセモノの神様はそこらじゅうにいて、「我こそは神」なんて威張っています。

そんなニセモノの神様とつるんで、自分の欲望を達成するために霊力を使う人間が多いのです。

 

本物の神様 

「本物の神様」は何人もいません。ただ一人だけです。

イエス・キリストを通さなければ、人間は本物の神様とは絶対にアクセスできません。

その神様こそが、私たち人間の産みの親なのです。

 

霊に好かれる人

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人って、ある事柄を実際に見たり体験したりしなければ、なかなか信じられないものですよね。

かと思えば、メディアの情報やうわさ話をコロっと信じてしまう人も多いのではないでしょうか?

人は一体何を根拠に、信じたり信じなかったりするんでしょうね。

 

見えない世界を信じるか?

スピリチュアルとは「見えない世界」のことを信じることから始まります。

「見えない世界」とは「霊の世界」です。

私たちの魂は霊体なので、この霊の世界に住んでいます。つまりあの世にいるわけです。

それに対して、私たちの肉体はこの世の物質界に住んでいます。

それってどういうこと????と思われるかもしれませんが、これが人間なのです。

私たちは、半分はあの世にいて、半分はこの世にいるのです。

試しに自分の肉体を脱いでごらんなさい。(本当にやってはいけませんが)

魂だけになった自分を発見するはずですよ。

これだけじゃ、なかなか信じてもらえないかな。

霊の世界については、「信じる」、「信じない」、「半信半疑」の3タイプに別れるみたいです。

ちなみに私は、「半信半疑」から「信じる」、そして「確信する」に変わりました。

確信に至った理由は、霊の世界を体験したからです。このブログで紹介している

「命のクリニック」の魂の治療を通して、見聞きしたことが確信につながったのです。

 

苦しむ未浄化霊は人間の肉体にしがみつく

上記に書きましたように、人間の本質は霊ですから、私たちは絶えず霊界の影響を受けています。気がついていないだけです。

世の中には霊界にいる未浄化霊に好かれる人がいます。これがけっこう多いんですよ。自分では気がつかないレベルから、はっきりわかるレベルまでいろいろです。

この未浄化霊たちは取り憑いた本人にわからないように、ひっそりと肉体の中に隠れています。

このような霊は、あの世の苦しみから逃れるために、人間の肉体にしがみつくのです。そうすればいくらかラクになれるのです。

反対に取り憑かれたほうはたまりません。肩こり、腰痛、頭痛、吐き気、耳鳴り、意欲減退、etc. ありとあらゆる不調に悩まされます。

未浄化霊の放つマイナスの波動が、じわじわとその人の精神や肉体によからぬ影響を与えるのです。

 

御先祖様だってツラい

「命のクリニック」で未浄化霊たちが高波動に触れると、取り憑いたご本人の中から、パーッと引っ張り出され、その場で悪態をついたりするのでわかります。

言えなかったこと、吐き出せなかった想いを抱えたままあの世に行ったからです。

彼らは生前のつらく、苦しい想念をずっと持ったままなんです。

時には泣いたり、怒ったりして私たちに訴えてきます。

「旦那が隠れて浮気してた!」なんて泣き崩れた霊もいましたよ。

 

自分に取り憑いてた未浄化霊が、ご本人の亡くなったご両親、ご先祖様だったなんてことはしょっちゅうです。

ご先祖様はお経で成仏なんてしてないし、ましてや子孫を守る力なんてありません。

守るどころか、助けを求めて子孫に取り憑くのですから。

でもご安心ください。

引き出された未浄化霊は、浄化されて光の世界に帰って行きますよ。

キラキラ光りながら昇って行きます。

彼らの感謝と喜びの波動が伝わってきて、そりゃあ感動ものです。

そりゃそうでしょ。

彼らを救って引き上げてくれているのは、魂の親である「神」だからです。

魂にとって光の世界とは、愛する親(神)の待つ懐かしい故郷なのです。

 

未浄化霊に好かれる人

霊的感応力の強い人がいます。霊感体質と呼ばれる人たちです。未浄化霊たちから人間を見ると、自分たちのことをわかってくれる人間かどうかは一目瞭然です。

未浄化霊は、助けてくれそうな人、わかってくれそうな人が大好きです。つまり、あの世とこの世の橋渡しができるエネルギーをたくさん持っている人です。

そんな人は、年中原因不明の体調不良に悩まされたり、幻覚を見たり、幻聴が聞こえたり、未来を予知したりすることもあります。

また、霊界の黒いボス的な霊と交信できる人には、霊能力者とか占い師とか、いたこ、祈祷師、教祖などが多いですね。(これはやめたほうがいいです。理由は別の機会に書きます)

私の母方の家系が祈祷師だったので、その実態をよく知っています。

亡くなった祖父は生まれつき霊的感応力が強く、座ったまま空中浮遊をしてしまうほど、いたずら好きな未浄化霊によく遊ばれていました。

 

 

「死んでしまいたい」と思っても、魂のブレーキがかかって簡単に死ねない

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芸能人の自殺ニュースがネットを騒がせています。

もっと生きたいのに、病気や事故で死ななければならない人生もあるのにね。

戦争の時代には、死にたくもないのに国のために命を犠牲にしなければならなかったし。

 

「もう死んでしまいたい。。」と思うことって、誰にもあると思います。

私も何度もありますよ。

人生で初めて死にたいと思った時は、小学6年生の時。(生意気ですよね)

夏休みの毎日を遊びほうけて過ごし、気がついたら大事な宿題をしていなくて。

やらなきゃと思っても、どうしていいかわからず、朝晩一人で悩み続け、「死にたい。。。」と思い詰めたのです。

今思い出すとバカバカしいことですが、自分なりに真剣だったんですね。

だから、学校のいじめなどで悩む子供たちの気持ちはわかります。

 

その後の人生においても、私なりに辛いことはたくさんあって、そのたびに「ああ、死んでしまいたい!」と思いましたよ。

 

だけど、本気で「死のう!」とまではどうしても思えませんでした。

人間が、どんなにつらくてもなかなか死ねないのは、魂が愛のブレーキをかけるからです。

 

「死んでしまいたい」は、現実と向き合うための気力がなくなって、その環境から逃避したいと思っているだけなんです。時がたてば状況も変わり、過去の記憶になってしまいました。

 

「もうだめだ。死のう!」と思っているうちは、まだいいような気がします。

正常な精神が残っているのではないでしょうか。周囲の支えがあれば、救われる可能性があるのです。

 

ところが、理由がよくわからず死を選んでしまうケースって、精神が100%正常でないという怖さがあります。

死にたいのかどうなのかもよくわからず、ボーッとした状態の中で、黒い存在にあやつられるのです。

そうなると自殺のこれと言った理由は、周囲にはわかりません。

おそらく本人にもわからないと思います。

 

人間の本体は魂です。魂は死にません。肉体が死んでも、霊的次元で生き続けます。

魂は、物質である肉体と違って、目に見えない霊体です。

私たち人間はこの魂をエネルギー源として生きているのです。

 

魂は超自然的存在ですので、絶えず霊的世界の影響を受けています。

これが、私たちの心や肉体、人間関係、人生に大きな影響を与えているのです。

霊的存在を人間の五感ではなかなか感知できないので、信じない人も多いのですが。

 

霊的世界は人智を超えた世界であり、人間の微々たる知識では到底測り知ることのできない世界です。

 

ところで、この霊的世界にはよからぬ霊がたくさんいます。邪霊、低級霊、悪霊などと呼ばれます。

彼らの仕事は、人間の魂を堕落の世界(つまり地獄界)へ引きずり落とすことなのです。

皆様を怖がらせるような話で恐縮なのですが、本当のことなんですよ。

何らかの理由があって、ある人の魂が低級霊(自殺霊)に気に入られてしまったら、ズルズルと引っ張られていきます。

 

スピリチュアルな視点から言うと、魂が自殺霊にスッポリとおおわれてしまい、魂の目がふさがれてしまっている状態です。

 

こうなると、周囲がいくら慰めたり、元気づけたりしても、本人の精神はどこかよからぬ次元へ飛んで行ってしまっている状態です。

 

もう一度言いますが、人間の本体は魂です。

魂がその人の一番重要な根幹となる部分なのです。

その魂が曇ってしまい、霊の目がふさがれるということは、その人の精神、心、肉体、環境に不協和音が生じるのです。

 

人間とは、創造主と呼ばれる「神」が絶大なる愛を込めて創作したものなんです。

親が子を愛してやまないように、神と人間の関係も同じです。

本来、人間と神は幸福に満ちた相思相愛の関係だったのですが、人間が親である神を裏切ったんです。

だけど、私たち一人一人の魂は、親である「神」の愛を知っています。

私たち人間の脳みそはすっかり忘れてしまっていますが。

 

魂は自分が神の一部であることを知っていますし、自分がとても尊い愛の存在であることも知っています。

 

だから、人間は命を断つことに罪悪感を感じ、簡単に命を放棄することは出来ないのです。

 

魂は自分の肉体をこよなく愛していますし、神は人間をハラハラしながら見守っています。

 

よくわからないかもしれませんが、魂と自分(自我)は別です。

普段私たちが感じたり、考えたりしている部分は自我です。

魂は「超人的な自分」です。

生きているうちはよくわかりませんが、死んで肉体を抜けると、魂である自分がわかると思います。(私も死んでみなければわかりませんが)

 

どんなに孤独でも、どんなに残酷な人生でも、一人一人の人間は、見えない神の愛に包まれているのです。

 

このことを、私たち人間は魂の波動を通して無意識にわかっているので、ブレーキがかかって簡単に死ねないのです。

 

とにかく、「自分から死ぬ」なんて、そんな面倒くさいことはやめましょうよ。

あせらなくてもそのうち必ず死ねるのですから。。。

 

 

 

 

死んだ父の魂はありのままを叫んだ

とっつきにくかった父の性格

先日、父が90歳で亡くなりました。

父は年の離れた母を見下すようなところがあり、モラハラ的な言動もよくありました。

私たち兄弟(3人)にはいつも背を向けているような人でした。

子供にベタベタして機嫌を取ったりするような父親ではありませんでした。

家族だけでなく、他人に対してもそんなところがありました。

自分から相手に近づこうとせず、相手が自分に近づいて来るのを待っているだけです。

それでいて、相手が自分の価値観と合わないと知るや、頭から否定します。

話をしても、「バカバカしい!」と否定されたり、「くだらん!」と拒否されたりで、私たち兄弟は思春期を迎えるずっと前から、父と向き合うようなことはなくなりました。

じゃれ合うように子供と軽快な会話のやり取りをしてくれる、楽しいお父さん。

それが私のあこがれの父親像でした。

 

認知症の父はあの世でもこの世でもない世界にいた

父は84歳でアルツハイマー認知症と診断されました。

被害妄想がひどく、突然の激昂やつじつまの合わない暴言、奇行などにより、自宅で介護していた母は疲弊し、強度のストレスにより介護殺人の一歩手前まで追い詰められました。

私たち兄弟は何とか父を介護施設に入居させましたが、父の介護拒否や迷惑行為により、数日で退去命令が出る始末。その後精神病院への入院を希望しましたが、それも断られ、私たち家族は途方に暮れてしまいました。その時は、いっそのこと早くお迎えが来てくれればと思ったくらいです。

その頃の父は、すでに家族のことはわからなくなっていました。娘や息子を見ても「お前は誰だ!出て行け!」と怒鳴りちらしました。

 

認知症の介護は、家族には無理です。精神が崩壊した肉親と24時間向き合わなければならないのです。あたりかまわず放尿し、夜中に家の中を徘徊し、突然狂ったように怒鳴り、食器を投げつけ、着替えや入浴をさせてはくれず、異臭を放ちながら家の中をウロウロするのです。こんなことが続くと介護する側の精神がやられてしまうのです。

私たち家族の心からは、すでにかつての父の存在は消えつつありました。

私にとって、父はこの世にもあの世にも存在していなかったのです。

 

精神病院で処方してもらった抗精神病薬が功を奏し、ほどなくして父は別の介護施設へ入居することができました。

 

面会に行くと、「誰だかわからないけど自分に会いに来てくれた」ということが、父には何となくわかるようでした。

父の「魂の淋しさ」が、私にはわかりました。

 

それから1年後、父は亡くなりました。

火葬場で焼き上がったばかりの父の骨を拾いながら、私は父の淋しさにつきまとわれました。

お経や戒名などは何の役にも立たず、ただ父の魂は暗闇の中でうずくまっていました。

 

もっと父に優しくしてあげればよかった

もっと話かけてあげればよかった

私は親不孝な娘だったかもしれない

 

私はぼんやりとした後悔を感じながら、父の遺影を見つめていました。

 

父の魂は叫んだ

父の葬儀を終え、帰宅した私は「命のクリニック」を訪れ、魂の治療を施してもらいました。

 

嫌な予感はしていたのですが、思った通り、父の魂が私にしがみついていました。

父は暗い所(地獄と呼んでもいいと思います)でこう叫んでいました。

「淋しい!悔しい!苦しい!」「誰もわかってくれない!」

 

人間から肉体を取り去り、心をはぎ取ると、残るのは霊魂です。

心は嘘をつきますが、霊魂はありのままを語ります。

父は肉体も心もなくなりましたが、霊魂だけは残っています。

その霊魂がこんなに苦しんでいたのです。

 

セラピストの誘導により、父の魂は「命のエネルギー」によりどんどん波動を上げて上昇していきました。最後に父の魂は驚いて叫びました。

「何だこの光は!」

 

父の死後、父の魂は地獄界で苦しんでいたのですが、ラッキーなことに光の世界まで引き上げてもらえたのです。父は幸運にも神の慈悲に救われたのです。

 

この世で悪い行いをした人間だけが地獄へ行くわけではありません。また善を行ったからといって天国へ行けるわけでもありません。

「この世の罪」と「あの世の罪」は違います。

「あの世の罪」とは、人間の魂が、その産みの親である「神」と離れてしまうことです。

 

生前、父は宗教哲学に興味があり、小難しい仏教哲学について書かれた本をよく読んでいました。父なりの「死生観」を求めていたと思います。

しかしそのような知識は何の役にもたたなかったのです。葬儀でのお経も、父の霊魂を成仏させることはできませんでした。

 

父の魂を救ったのは「神の愛」でした。父の魂は、死後ようやく真の救いと出会えたのです。父と私は、神に感謝するしかありません。

 

魂の救いとは何ぞや

では、魂は死ななければ神の救いに出会えないのでしょうか?

いえいえ、そうではありません。

魂が肉体にあるうちに、つまり生きているうちに魂が神を思い出さなければならないのです。

そうでなければ、ほとんどの魂は私の父のように死後は暗闇に降りて行ってしまいます。

どこへ行ってよいかわからず迷い、自らの重さで沈んでいくのです。

生前、神の光を思い出した魂は、死後は光を求めて上昇していきます。

 

「自分」とは一体誰?

いくら「自分探し」をしても自分のことは永遠にわかりません。

なぜなら「自分」とは「神」につながっているからです。

「神」とは無限の存在です。

「わかった!」と思っても、またその先が永遠に存在するのです。

そしてその神から遠く離れてしまったのが、自分の正体である「霊魂」なのです。

 

霊魂は神の元へ戻りたいのです。神も手を伸ばして、我が子を救おうとしています。

だけど、戻さんとする黒い力が働くのです。この力は強烈で、あっと言う間に引きずられてしまいます。この世に生きている人間は皆、引きずられています。

 

エラそうに書いている 私も、自分のことは全然わからないし、黒い力にひきずられっぱなしです。。。